■IZO カオス・又は不条理の鬼人
ネタバレというか、解説なしというか、とにかく見ていない人には優しくない感想文ですのでご注意ヨロm(_ _)m

まず、思ったよりストーリーがありましたね。 もっとE.D.80000Vクラスにめちゃくちゃかと思ったんだけどなあw まぁそれじゃ、あんな風に大御所俳優ばっかり使える映画にはならないか、さすがに(^_^;)
にしても、良くぞアレだけ俳優集めたな、とは思いますがね。 ろくに宣伝もしてないしスポンサー名も見えないから、もしかしたらこの映画は三池と奥山の持ち出し予算で作ってるんじゃないかと思いますが、それであれだけの人数集めて、セットもモブも衣装もロケも普通以上に馬鹿みたいな数やってるわけですから、名前のない出演者が薄給なのは当然としても、名前のある人達も、相当破格で出てるんじゃあないかしらねー。
とは言え、例えば「ラスト・サムライ」みたいに、例え出演料が安くても、これだけの素晴らしい映画に出たことで自分のためにとても有益なことだった、ってな風にはならないと思いますがね(^_^;)

んー、、、、 まぁ三池が青臭くてヌルい人間なのはわかってはいるけどー、、 テーマは嫌いじゃないけど落ちが弱いのよねー。
イゾーの存在について、途中で解説された「完全なる位相が、完全を保つために、完全を吐き出して不完全な位相として云々」ってのは、あれ、位相支配階級側の詭弁だと思うんですよね。 私の個人的解釈では、イゾーはもうただ単なる位相のバグであり、赤蝶・青蝶やその他出演者の言葉どおり、純粋な「矛盾」「理不尽」「不条理」「無意味」ってのが正解なんじゃないかと。 "人間"時代の以蔵が、武市半平太に言われた「斬って斬って斬りまくっちゃれ」っていう言葉が、このバグを固定させるスイッチになっちゃったんでしょうね。
んで、そういうモノに相対した時に"人間"の取る対応は、威嚇だったり、撃退だったり、阻止だったり、哀願だったり、説得だったり、色々するわけですが、そのどれもが効果がない。 何せ相手は無意味ですからw ただ、「道を開ける」ことしかしてはいけない訳で、そこでまた、そういう"通常の世界"との位相の"精神的"なズレが、イゾーの無限地獄になるっていうのが大元のテーマなんですな。
だからね、それはまぁ良いんだよ。 そのテーマの間に、「人間の文明なんて欺瞞と争いの繰り返しで空虚で云々」なんつーヘタレ終末観を、白黒の戦争フィルムの高速繋ぎ合わせなんていう、陳腐すぎて今時大学生の自主制作映画でもやらないんじゃないかっていう手垢のついた方法でインサートしちゃうところも、別にスルーしてできないほどの要素ではないしね。

ただ、個人的に納得いかないのは、まず一つ、サヤが「私たちはついに出会えなかった魂の片割れ」って言ってるけど、はっきし言って、以蔵以外の時代には二人は夫婦な訳じゃないですか、ずっと。 その「出会えなかった」っていうのが、イゾーが無限地獄に嵌った一つの原因なんだと思ったのに、出会えてるじゃん…っていう。 まぁ、この二人は何度転生しても常に出会うべきだったのに、以蔵時代にだけ(以蔵がイゾーになったせいで)出会えなかった、って解釈でもいいんだけどさ。。。 なんかそれじゃ「ついに」っていう切実さ、哀切さが薄れちゃうわよね。
あと、ある意味些細なことなんだけど、何ぼなんでもミトコンドリア・イブはやりすぎだ(爆) ギャグにしかならん。 いや、今時そのモチーフは、寒すぎてギャグにもならんか。 つーか、サヤとのカラミで、落ちも含めて男女・母子の繋がり話は入ってるんだから、そこにあのラッキーマザーのエピソードは全然いらない。全くの蛇足。 あそこでイゾーがアレと媾合ったことで、彼の運命にまた何らかの変化やら宿阿やらが加わったってんならまだしも、どことも繋がってないしなー。

んで、その落ちですがね、個人的にはさー、無限地獄から逃れられないというイゾーの絶望感が絶望のままで終わるような、どうしようもない、結果として何も変わらなかった、っていう後味の悪〜〜いストーリーが好きなのに、そこで超安易に最後に「生まれ直し」をやっちゃうっていう、あのテケトーな放り投げ方がね〜( ̄- ̄;) まぁ、、三池だからしょうがないんだけど、、、
(イチん時も、せっかく漫画版はそういう後味悪い系だったのを、全然違う風にしちゃったしねー… ジジィ自殺って意味ワカンネエ(T-T) 閑話休題。)
パンフにシナリオが全部書いてあったんですが、撮影中に現場で変えたらしき差異も勿論たくさんあって、クライマックスのシーンはシナリオでは、赤蝶・青蝶も普通に闘って倒し、"殿下"にも挑みかかるんだけど、敵わずに裂け目に落ちて…って予定だったらしいのが、実際は赤蝶・青蝶に対しては、それまで刀を離さなかったイゾーが、刀を投げて勝つ、という、捨て身と限界象徴的戦法になってたし、その後も"殿下"のには結局辿りつけず、息一つで退けられてしまう (つか祝福の息吹なんだろうが)っていう風にガラリと演出が変わってたのは、それはいいと思う。嫌いではない。
ただ、ねー。 その後がねー。 生まれ直し落ち、読めちゃうしさー。しかも読んだそこで終わりになっちゃうしさー。
私だったら、"殿下"はあそこでイゾーに情けをかけないね。 手を取るか身を翻すか斬り付けるかして、またメビウスに落とすねwww だって、完全なる位相が完全を保つために吐き出したモノであるのなら、彼は彼として固定しておかなきゃならんじゃないですか、"殿下"自身の為には。
もしくは、確かに"殿下"は、他の位相の支配者たちとは最初っからイゾーに対する感情が異なってた風だから、まぁある意味、自身の対たる影、っていう風にイゾーに同情してたっていうセンもなくはないから、そこでああやって生まれ直しをさせてあげた、ってのはまぁアリかもしれない。 でも、それでもってサヤから産まれたイゾーが、やっぱり産まれた途端に刀を持ってて、にっこり微笑むサヤを一刀両断、とかなら良かったのに、とっても良かったのにな〜〜〜 (´∀`)
私が監督ならそこで、少ない予算を搾り出してでも、真っ二つにされたサヤの人形を用意して、ラストはそれを写したまんまスタッフロールですよw

あとは、まぁ、ミッチーの新選組とか、安岡力也とか松方弘樹とか緒方拳とか、その辺は普通に楽しめた。 SAT隊長役の松田優が、両手広げて「こいやぁっ!」っつって斬らせておきながらピストル撃ち込むとことかねw(しかも横撃ち!) 結婚式場で、花嫁衣裳が鮮血に染まるのが見れなかったのや、教室のシーンで子供皆殺しにしてくれなかったところは残念でしたが。
とは言え、私の大好きな斬殺ばっかりなのに、イチと違って死体や内臓描写が全然なのは、やっぱりお金がないからなんだろうな〜… 死体は転がってるけど、血糊ばっかで服すら切れてないしさ。 「ああ、全部レンタルなんだね〜 洗って返すんだね〜(/_;)(ましてやウェディングドレスなんざ血糊すら着ける事はできまいなあ。)」って目頭が熱くなったよ(嘘)。
つーか最初でも書いたけど、マジあれだけの衣装やセット替えするのって、尋常じゃないってば。 普通だったら、このクラスの監督がここまで手間とかかけて撮るなら、きちんとスポンサーもつけてロードショーするんだろうけど、そうしてない辺り(もちろんそうすればその分制約や横槍が増えるわけで)、もう「とにかく撮りたいから撮るだけで、ぶっちゃけ興行成績どころか観客の品評すらどうでもいい」って思ってそう( ̄▽ ̄;)
エンターテナーの姿勢としては、そういうオナニーショウをどうかと思う人もいるだろうけど、私は、創作は所詮全てがオナニーだと思ってるから、まぁそれだけでは嫌な気にはならないんですがねー。

歌のおじさん、友川さんも、私は割と好き。 トレーラーでの印象も強くてね。(そういえば、トレーラーも見ずに見に来てる人もいるのねー。ボブ・サップ袈裟斬りずるりのシーンとかで声上げてたりするんだもん。つかあのシーンをトレーラーに入れちゃう方もどうかとは思うけど(;´Д`) あと、途中の子供殺しのシーンで耐えられなくなって席を立つ人とか居てねー。わらい。 予備知識もなしに良くこんな映画見に来るわっつーのw 閑話休題。)
あの友川さんの歌の歌詞の、すんごく絶叫してるのに全然意味のないところとか、この映画のテーマとピッタリカブってて良いじゃないですか。 ああいう狂言廻し的位置の役割、しかも役名が本名、みたいな遊びは、まぁ確かに古臭いアングラ風演出ではあるけど、わたし的にはアリだなー。

長くなりましたが、そんな所です。 全体的には、まぁ「ふ〜ん」ってまったりと楽しむ程度。ごじってんくらいかなー。
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